モリブロ

ここ最近はよく悩んでいる。

リストカット

 永久機関は存在しない。理論上永遠に動き続けるパチンコ玉の運動エネルギーは、摩擦によって熱が生まれてやがて止まる。エネルギーの総量は変わらないから、熱エネルギーに変換できたと考えると損はしていないのだけど、それでもなにか失った気分になる。下呂で温泉の源泉が湧き出ているのを見たことがある、湘南に波打ち続ける海がある、いま、私はなにもないところからイライラが生成されている。お腹は空いていない、喉も乾いていないし、温度も湿度も快適そのものだ。赤ちゃんが泣いたとき、なすすべがなくなることがある、あの感じ。私の親は手立てがなければ放っておけばいいと言っていて、なるほどたしかに、と感じたけれど、私自身を放っておくのは、どうすればいいだろう。さっきまで10ほどのイライラが集まっていた。いまこの時も、次から次へとイライラが湧き出てくる。20にも30にも積み重なっていくのかと思えば、私の心が感じるところによれば、どうやら10から11になるような感覚が永遠に続いているみたいで、いっそ十分に大きな数字まで膨れ上がってくれれば、そのうち心がパンクして、自然治癒みたいにいつも通りに戻ってくれる気がするのに、ペンローズの階段みたいに、怒りと焦燥感の階段を永遠に登らされる。ふと目の前にあるランドリーボックスをけ飛ばすと、いい音を立てて壁にぶつかる。1,2入っていた私の下着は床に散らかり、これは爽快に感じたのだけれど、どうやら私のイライラとは別の機構で働いている感情だったため、意味を成さなかった。次にiPhoneを床にたたきつけた。クリアケースをしている私のiPhoneは弾み、いつも座っている座椅子の上に着地した。私の携帯電話が痛んで使えなくなってしまえば、我に返って冷静になるかとも思ったが、直後Yahoo!メールからの通知が耳に聞こえて、その気が失せた。だからと言って、ケースを外した状態で床にたたきつけることはしない。あくまで、壊れると思っていなかった、アクシデントのような形でなければ私自身を驚かすことはできない。ともしているうちに、なんだ、中学生のころにしたリストカットを思い出した。正直あの頃は、何にイライラしているでもなく、そう、それこそ大人へのアピールみたいなものだった気がする。だからと言って、見せびらかすようなことはしなかったのだけれど。会社用のカバンからペンケースを取り出して、カッターの刃を出す。キリキリなる音と、錆びた刃。そっと腕に刃をあてると、ひんやりとした感覚と、あと少しで何かが起こる、それを自分が知っているときの、今ここにいるという感覚をはっきりと自覚した。一度腕を降ろし、刃をさらに出すと、キリキリ、カチ、と刃がこれ以上でない限界に達した。次は刃が平らな面を腕に当てて、やはり冷たいことを確認した。冷たいカッターの刃と、熱を帯びた自分。そういえば今日は、まだシャワーに入っていない。これからのことは、そのあと考えることにした。