モリブロ

ここ最近はよく悩んでいる。

インカレ2023

  2連休だった。1日目の休みは特に何もせずに寝た。休日を丸々無駄にしても2日目がある、そういう気持ちの余裕が生まれるのが2連休のいいところだ。2日目はと言えば、ひたすらパソコンに向かって勉強をした。それのどこが休日なのだろう。

 今日の朝、ふと散歩に行ってみた。関東の夏は朝も夜も外に出たくはなかったが、水出に季節といえば秋に差し掛かっており、コンビニに朝ご飯を買いに出かけたのだった。

 ドアを開けた瞬間に思い出した。秋の香りや温度もそうなのだが、緊張しているとも弛緩しているとも言い難いインカレの雰囲気だった。開催地である茨城県とは程遠いし、時刻が競技時間と被っていたか否かもわからないが、不意にそんな感じがした。

 インカレのことを定期的に思い出しては、俺にしては頑張った気がする、最後のインカレはだらしない成績だった、などと、もはや一選手であった俺のことなど、俺しか考えていないのだろうが、いろいろ頭を巡る。

 競技の朝、待機所での時間、どの瞬間を思い出しても、一切当事者意識などわかないのだが、スタート3分前枠に立った時特有の寒気や緊張感は、今も思い出される。決して悪い成績ばかり取ったわけでもなければ、後悔をしているわけでもない。ただ、スタート前からスタート直後までは、誰も俺を認知しておらず、それでいながら自分と、その自分を取り巻く何者かだけが自分を見つめている。

 誰のものでもないと思っていた自分の人生が、急に自分のものになる感覚があった。自分に講義を受けさせるために朝早く起こす別の自分。研究を終わらせるためにコーディングをする別の自分。飲み会を楽しむために自分の体調を管理する別の自分。なにかすべてに当事者意識というものがなく、それでいて滑らかに人生が転がっていく感覚があった。人生が激しい凹凸なく円滑に転がるようにセッティングさせていた自分は、もはや自分でない。

 今も俺の人生を生きているのは、俺ではなく、俺の周りを取り巻く愉快な俺だ。しかしながら、インカレみたいな大舞台に立った時のように、急に自分が自分であることを思い出す俺がいる。そんな時、俺は不安定になってしまう。いやに久しぶりに目から覚めたのだから、それも、起きるのは緊迫感を感じるときだし、それはきつい。

 きっと俺はこの半年くらい、そのようなパニックに陥り続ける。もしくは永遠かもしれない。それがどうであれ、いつ死のうが、なんだろうが、俺は俺の人生を緩やかに転がし続けるのだと思う。