モリブロ

ここ最近はよく悩んでいる。

たまたまちょっとした成果が手元にあるだけの人

 最近、自分が優秀ではないことに気が付き始めている。

 社会に出てからというものの、自分の人付き合いの下手さに辟易している。どれだけ自分の能力が高かろうと、いや別にそこまで高くないという話ではあるのだが、人のためになることをやっていようが、上長にその過程や成果をアピールできなければ無に等しいということが、そんな当たり前のことが、半期評価や年間評価に表れてきている。特段評価が悪いということではないのだが、自分が今まで優秀だと高を括っていた分、その跳ね返りが私をどうしようもない気持ちにさせる。

 などと述べていながら、心のどこかでは自分の価値に気が付けない上長のことを馬鹿にしている節もある。というより、そうでもしないとやっていられないような気がする。さして差を感じない同期と評価が2まわり程度違う、他責にならなければ私の心がもたない。

 しかし、自身を優秀でないと感じている点はこの、人付き合いの下手さだけではない。

 私が優秀でない所以は、逃げ続けてきた人生にある。小学校から大学、就職に至るまで、私はある一定の努力から、挑戦から、責任感のある仕事から逃げ続けてきた。

 中学校で野球をやめた。怪我をしたこと、続けていくうちに競技に興味がなくなったことも、くだらない礼節というものに意味を感じなくなったこと、後から考えればいろんな理由がある。外食に向かう車の中、冬、野球をやめたいと父に相談したとき、父は泣いた。私も泣いた。父に同情したというのもあるし、父が決してやめることをとめなかったその優しさに泣いた。それでも、厭だったからやめた。

 高校で輪に加わるのをやめた。クラスの中心に要るのも、異性と話すのも、学校祭に精を出すのも、友達をたくさん作るのもやめた。学校という空間において、そういうことはハードモードと思われるかもしれないが、そんなこともない。誰かと責任をシェアしないで、他人のやることを傍からみて嘲笑する存在など、イージー、ハードの難易度の軸に当てはめることができない。当時の自分は、そんな孤独ライクな自分に酔っていたし、自分で積んだ勉強の分だけ自分の地位が確立されることに満足していた。

 大学で、挑戦することをやめた。オリエンテーリングというスポーツをしていた。自分の人生では珍しく、すこしだけ才能を感じた競技だったと思う。地図を読むというソフト面、不整地を走るハード面を持った珍しい競技。私は半ば熱狂的だった。3年生までこの競技にのめりこんでいるようで、実は前述したソフト面しか成長がなかった。年間を通してトレーニングを持続できない。3年生からタバコを吸っていた。それでも、ある程度の結果が出た。それでよかった。自分の気持ちよい範囲の努力をして、自分の所属するコミュニティ内で地位が確立できる成果が獲得できて、それが不健康に心地よかった。そんなだから、最後のレースは満足できる結果にならなかった。最後の最後で、責任から逃げてきた自分の4年間に悔いが残ってしまった。

 すべてに後悔が残っている。ここに書ききれなかったものもたくさんあるわけだしそのすべてが今の私を形づくっていて、不完全なものにしている。残念だし、悔んでも悔い切れない。

 でも、私が最も愚かしいのは、この後悔や反省という思いを麻痺させ続けたことにあるのかもしれない。事実、上に書いたすべてを私は重たく受け止めていない。より良いものにできた感覚や、逃げなければより良い経験を、人生を歩めていたかもしれないという感覚はあれど、それはそれ、これはこれで、今の自分に満足しているふりをすることを続けてきた。そもそも感覚を麻痺させていないなら、これまでの人生でここまで逃げ続けていないはずだ。

 一種の現実逃避であるこれは私の弱みでありながら、私を支えてきた支柱のような考えだ。責任を自分の上に乗せなかったからこそある程度の成果が出せてきた。責任を感じなかったからこそ、私は荒み腐ることはなかった。もともとのメンタルが強靭でない私にとって、人生を生き抜くための常套手段だった。少し関係ないが、今思えば私の姉はすべてに直面し、逃げることが許されなかった環境だったと思う。それが今の不安定さを読んでいるのかもしれない。ともすれば、これは悪くないのかもしれない。誰にも正解などわからないし、そもそも生き方や逃げ方、直面した壁の対処法に正解などないのだから。

 つまるところ、この逃げ癖が、今の私を形成しながら、今の私を苦しめている。さて、就職した。評価が思ったとおりにいかない時、課題にぶつかった時、私は自分を見つめなおさざるを得ない。高校や大学のように次のステップがあるわけでない。他人と関わらず生きていけない。もはやどこにも、逃げ場はない。いや、逃げることはきっとできるのだけれども、逃げた先にはもうなにもない。これから私に関わる成果が、私が上長に見せる取り組みが、業務に関わる数字が、すべてが私の責任で評価に跳ね返ってくる。

 私はすでに、逃げるフェーズから抜け出すときなのかもしれない。自分の弱みを認め、それに対処し、自分の責任を受け止め、課題に取り組む。そんな考えをまるごと否定してきた私にそれができるかはわからないのだが、できるまで挑戦しなければ、きっと私は消えてなくなる。