モリブロ

ここ最近はよく悩んでいる。

入学おめでとう

 私は仕事ができないんじゃないかと思う。私は学校の成績は良かったが、それは仕事に全く影響を及ぼさないのではないかと思う。私は今何を誇りに生きているのだろうと思う。私は世の中が単純じゃないと思う。私はやはり仕事ができないんじゃないかと思う。

 私は時間の管理ができない。私はタスクの管理ができない。私は身の回りの支度ができない。私はお酒が飲めない。私は休日に外に出ることができない。私は友達が少ない。また、私は飲食店に入るのが怖い。私は目上の人に詰められるのが怖い。私は自分の実力が大したものでないことが怖い。私は変な格好をしている風にみられるのが怖い。私は人に嫌われるのが怖い。

 私には怖いものだらけの生活を歩んでいると思う。とるに足らないものを怖いと感じているのも情けない話だと思う。私は自分が大げさではないと思っている。私と同じような恐怖を感じている人は多くいるはずだ。その人たちはきっと、私と同じように恐怖しているか、あるいは恐怖を取り除くために物事のとらえ方を変化させて順応しているのだと思う。

 それらはどこまで突き詰めていっても、根源的な恐怖のように感じられる。

 私のそれは、死ぬ直前まで続くのだろうか。あと数分で人生が終わるというようなときでさえ、私は怖いものにおびえ続けて生きるのだろうか。そうして、恐怖のない生活を目指していった先にある空虚な環境に備え付けられた薄い布団の上で生涯を終えるのだろうか。

 ところで、小学校に入学した甥、入学おめでとう。私は学校に在籍しているほとんどの期間を自尊心を保つことに注力していたが、きっと君はそうもいかない。私は挫折という挫折を避けて学校に通っていたが、きっと君はそうもいかない。私の家庭環境はほとんど周りのものと同等と思っていたが、きっと君はそうもいかない。

 君は私が触れなかった恐怖の実態に触れることになる。いま私はそれがうらやましく思う。

 私は仕事ができないんじゃないかと思う。私は学校の成績は良かったが、それは仕事に全く影響を及ぼさないのではないかと思う。私は今何を誇りに生きているのだろうと思う。私は世の中が単純じゃないと思う。私は嫌なものから目をそらしてきたから、ひどく臆病なんじゃないかと思う。

向こう10年結婚しなくてもいい

 ようやくシステムエンジニアの仕事をし始めましたが、向こう10年結婚しなくてもいいと思いました。

 今気づいたことでも何でもないのですが、特に志を持って生きてこれず、ただただ用意された競争で上位を取り気持ちよくなるだけの人生だったので、そこそこいい大学に進学し、そこそこいい成績を取って、人生の指針を持ったふりをして学科に行き、研究はといえば、それは全く競争ではなかったため、就職して逃げてきたのです。就職しても私の性質は大きく変わらない。会社にある簡易的な競争にはやはり私は強いのですが、面倒だと思うことをコツコツ積み上げていくだとか、人と人のつながりを大切にするだとか、そういうのが苦手で正直特にパッとしない日々が続いていたように思います。

 今、きっと私は立つべきではないコンピュータサイエンスの壁の前に立っています。この会社でエンジニアをするのであれば、決してここに立ち寄る必要がないのは承知なのですが、なぜか立っている。もしかしたら主戦で戦うことにビビっていて、一種現実逃避のような行為の一つかもしれません。

 何するにしてもメジャーじゃない。そういわれてみれば、私にはそう言った性質もあったかもしれない。ニッチなことをやれば誰も私に口出せませんし、外野から私のことを評価するのが難しくなる。内野から見れば、それはまあお粗末なものだとは思うのですが、なんにせよ私はこの性質を持ち合わせているかのようです。

 でも、今、コンピュータサイエンスが楽しい。生物学も物理学も農学も医学も機械工学も、社会に出た後にはなかなか勉強が難しいです。でも、コンピュータサイエンスは違うんですよね。研究というには大それていますが、手元にあるLinuxOSはオープンソースで、先人が積み上げてきた膨大なソースコードはすでに私のものになっており、それを理解することができるなど、ほかの学問にあるのでしょうか。私がこの職業を選んだのはただの運かもしれません。私はそもそも、運がいいのです。

 確かに私は運がいい。私の生きてきた人生のプロセスの多くは間違えていたような気がしますが、その選択一つ一つは大きく外れていなかったと思っています。中学でクラブチームをやめたのも、アニメとゲームに熱中して思う高校に行けなかったことも、まあ、こういう風に上げていてはきりがない。私は運がいいのです。決して自慢じゃない、というのも、この性質は特に私の自尊心を満たしません。

 没頭したものに対して、時間はどれだけあっても足りないように感じます。寝ている暇も惜しいので、本当に寝なかったりします。正直ご飯を食べている時間ももったいないですし、会合に行く時間とかももったいない。それだったらUbuntuを触ったり、アセンブラに挑戦してみたり、そう、近いうちにプログラミング言語を自作したいので、それとか、ファイルシステムプロトコルスタックを実現するOSも作ってみたいですし、ここまで言えば、時間が足りないことなどわかると思います。正直、死ぬまで暇していない。

 私はここ2年間ほど、すぐにでも結婚したいと思っていました。結婚してしまえば、いついかなる時も人が一緒にいます。私がコンピュータを触る時間、人が寝ています。私が食べない晩御飯を作ってくれるかもしませんし、無駄にセックスしなければいけないかもしれません。

 私にその時間はもうないです。でも、私もバカではないので、この没頭は10年限定にしたいと思っています。もちろん、この10年というのも願望にすぎません。とにかく、今はくだらないことを思いたくない。考えたくない。

札幌

 札幌には私を暗くする何かがあると、すぐに思い出した。商店街を歩いていた。大学生の時バイトしていたステーキ屋がある商店街。私の目に映るすべて女は質が高く、到底私には似つかわしくないものばかりだったから、横目ちらつかせず前だけを見ていた。ただ前を見て、時に下を見て、また、眼鏡を外してポケットにしまった。私はあの時と全く同じ行動をとっていたことに、たった先ほど気が付き嫌気が刺した。

 さて、どうにも不自由だ。何をするにも私は不自由だった。でも、この不自由こそが私を突き動かしてきたのだとも思う。なんにせよ、今はその不自由にさえ嫌気が刺している。

インカレ2023

  2連休だった。1日目の休みは特に何もせずに寝た。休日を丸々無駄にしても2日目がある、そういう気持ちの余裕が生まれるのが2連休のいいところだ。2日目はと言えば、ひたすらパソコンに向かって勉強をした。それのどこが休日なのだろう。

 今日の朝、ふと散歩に行ってみた。関東の夏は朝も夜も外に出たくはなかったが、水出に季節といえば秋に差し掛かっており、コンビニに朝ご飯を買いに出かけたのだった。

 ドアを開けた瞬間に思い出した。秋の香りや温度もそうなのだが、緊張しているとも弛緩しているとも言い難いインカレの雰囲気だった。開催地である茨城県とは程遠いし、時刻が競技時間と被っていたか否かもわからないが、不意にそんな感じがした。

 インカレのことを定期的に思い出しては、俺にしては頑張った気がする、最後のインカレはだらしない成績だった、などと、もはや一選手であった俺のことなど、俺しか考えていないのだろうが、いろいろ頭を巡る。

 競技の朝、待機所での時間、どの瞬間を思い出しても、一切当事者意識などわかないのだが、スタート3分前枠に立った時特有の寒気や緊張感は、今も思い出される。決して悪い成績ばかり取ったわけでもなければ、後悔をしているわけでもない。ただ、スタート前からスタート直後までは、誰も俺を認知しておらず、それでいながら自分と、その自分を取り巻く何者かだけが自分を見つめている。

 誰のものでもないと思っていた自分の人生が、急に自分のものになる感覚があった。自分に講義を受けさせるために朝早く起こす別の自分。研究を終わらせるためにコーディングをする別の自分。飲み会を楽しむために自分の体調を管理する別の自分。なにかすべてに当事者意識というものがなく、それでいて滑らかに人生が転がっていく感覚があった。人生が激しい凹凸なく円滑に転がるようにセッティングさせていた自分は、もはや自分でない。

 今も俺の人生を生きているのは、俺ではなく、俺の周りを取り巻く愉快な俺だ。しかしながら、インカレみたいな大舞台に立った時のように、急に自分が自分であることを思い出す俺がいる。そんな時、俺は不安定になってしまう。いやに久しぶりに目から覚めたのだから、それも、起きるのは緊迫感を感じるときだし、それはきつい。

 きっと俺はこの半年くらい、そのようなパニックに陥り続ける。もしくは永遠かもしれない。それがどうであれ、いつ死のうが、なんだろうが、俺は俺の人生を緩やかに転がし続けるのだと思う。

 

 全身に冷たい血液がめぐる感覚がして、それなのに腕にはじわじわと汗がにじみ出る感覚がした。ちらりと左腕を見ると毛穴ひとつひとつがきらきら光っていて、これが生命の尊さか、とか意味もなく思う。

 今実家にお骨がある。高い線香立てと、高い線香と、高いおりんと、枯れないように花と…。そういうコーナーがあって、母がずっとそれをいじったり花を変えたりしてる。きっと今もしている。

 人が死ぬってやっぱり耐え難い。誰が死んでも耐え難い。だから、そういう儀式、儀式っていうと少し形式的で嫌な感じがするけど・・、をして、死に向き合っていく。そうしていくうちに、自分の生活に死が干渉しなくなっていくんじゃないかって思う。

 でもまあ、死ぬのも自由だと思う。本当に死んでもよかったなら、まじで死んでもいい。なんで死んだかとか、なにかできたかもしれないとか、やっぱりエゴだと思う。今もなお生き続けている人でさえ何を考えているのかわからないのだから、死ぬ気持ちもまた、さっぱりわからない。だからその人の価値観で死んだのなら、俺はそれを尊重してもいいんじゃないかと思う。

 自分が嫌になり、人生がひやひやして、それでも自分の意思でいつでも死んでもいい。そう思うと、腕から汗が引いて攻撃的な悪い音楽が聴けるようになった。

たまたまちょっとした成果が手元にあるだけの人

 最近、自分が優秀ではないことに気が付き始めている。

 社会に出てからというものの、自分の人付き合いの下手さに辟易している。どれだけ自分の能力が高かろうと、いや別にそこまで高くないという話ではあるのだが、人のためになることをやっていようが、上長にその過程や成果をアピールできなければ無に等しいということが、そんな当たり前のことが、半期評価や年間評価に表れてきている。特段評価が悪いということではないのだが、自分が今まで優秀だと高を括っていた分、その跳ね返りが私をどうしようもない気持ちにさせる。

 などと述べていながら、心のどこかでは自分の価値に気が付けない上長のことを馬鹿にしている節もある。というより、そうでもしないとやっていられないような気がする。さして差を感じない同期と評価が2まわり程度違う、他責にならなければ私の心がもたない。

 しかし、自身を優秀でないと感じている点はこの、人付き合いの下手さだけではない。

 私が優秀でない所以は、逃げ続けてきた人生にある。小学校から大学、就職に至るまで、私はある一定の努力から、挑戦から、責任感のある仕事から逃げ続けてきた。

 中学校で野球をやめた。怪我をしたこと、続けていくうちに競技に興味がなくなったことも、くだらない礼節というものに意味を感じなくなったこと、後から考えればいろんな理由がある。外食に向かう車の中、冬、野球をやめたいと父に相談したとき、父は泣いた。私も泣いた。父に同情したというのもあるし、父が決してやめることをとめなかったその優しさに泣いた。それでも、厭だったからやめた。

 高校で輪に加わるのをやめた。クラスの中心に要るのも、異性と話すのも、学校祭に精を出すのも、友達をたくさん作るのもやめた。学校という空間において、そういうことはハードモードと思われるかもしれないが、そんなこともない。誰かと責任をシェアしないで、他人のやることを傍からみて嘲笑する存在など、イージー、ハードの難易度の軸に当てはめることができない。当時の自分は、そんな孤独ライクな自分に酔っていたし、自分で積んだ勉強の分だけ自分の地位が確立されることに満足していた。

 大学で、挑戦することをやめた。オリエンテーリングというスポーツをしていた。自分の人生では珍しく、すこしだけ才能を感じた競技だったと思う。地図を読むというソフト面、不整地を走るハード面を持った珍しい競技。私は半ば熱狂的だった。3年生までこの競技にのめりこんでいるようで、実は前述したソフト面しか成長がなかった。年間を通してトレーニングを持続できない。3年生からタバコを吸っていた。それでも、ある程度の結果が出た。それでよかった。自分の気持ちよい範囲の努力をして、自分の所属するコミュニティ内で地位が確立できる成果が獲得できて、それが不健康に心地よかった。そんなだから、最後のレースは満足できる結果にならなかった。最後の最後で、責任から逃げてきた自分の4年間に悔いが残ってしまった。

 すべてに後悔が残っている。ここに書ききれなかったものもたくさんあるわけだしそのすべてが今の私を形づくっていて、不完全なものにしている。残念だし、悔んでも悔い切れない。

 でも、私が最も愚かしいのは、この後悔や反省という思いを麻痺させ続けたことにあるのかもしれない。事実、上に書いたすべてを私は重たく受け止めていない。より良いものにできた感覚や、逃げなければより良い経験を、人生を歩めていたかもしれないという感覚はあれど、それはそれ、これはこれで、今の自分に満足しているふりをすることを続けてきた。そもそも感覚を麻痺させていないなら、これまでの人生でここまで逃げ続けていないはずだ。

 一種の現実逃避であるこれは私の弱みでありながら、私を支えてきた支柱のような考えだ。責任を自分の上に乗せなかったからこそある程度の成果が出せてきた。責任を感じなかったからこそ、私は荒み腐ることはなかった。もともとのメンタルが強靭でない私にとって、人生を生き抜くための常套手段だった。少し関係ないが、今思えば私の姉はすべてに直面し、逃げることが許されなかった環境だったと思う。それが今の不安定さを読んでいるのかもしれない。ともすれば、これは悪くないのかもしれない。誰にも正解などわからないし、そもそも生き方や逃げ方、直面した壁の対処法に正解などないのだから。

 つまるところ、この逃げ癖が、今の私を形成しながら、今の私を苦しめている。さて、就職した。評価が思ったとおりにいかない時、課題にぶつかった時、私は自分を見つめなおさざるを得ない。高校や大学のように次のステップがあるわけでない。他人と関わらず生きていけない。もはやどこにも、逃げ場はない。いや、逃げることはきっとできるのだけれども、逃げた先にはもうなにもない。これから私に関わる成果が、私が上長に見せる取り組みが、業務に関わる数字が、すべてが私の責任で評価に跳ね返ってくる。

 私はすでに、逃げるフェーズから抜け出すときなのかもしれない。自分の弱みを認め、それに対処し、自分の責任を受け止め、課題に取り組む。そんな考えをまるごと否定してきた私にそれができるかはわからないのだが、できるまで挑戦しなければ、きっと私は消えてなくなる。