いや・・・
何やってもつまらないみたいなこと、自分の感受性を育もうとせずにこの年になった自分の責任じゃないか・・・。
最近
自己破壊に勤しむ毎日になっている。お金は貯めずに使い、タバコを吸ってたまに酒を飲んで・・・こうやって書くとめちゃくちゃ楽しそうなのだが、全然つまらないなと思う。
生きる気力みたいなものでいうと、やっぱり情報系の勉強が楽しいなと思う。今はRustを習得しようと頑張っていて、趣味で使うコードの決定版になりそうだなと感じている。Javaはいいんだけど手軽じゃないなと思う。
今年1年はざっくり色々勉強したなと思う。プログラミングもそうだし、インフラ系の部分もだいぶ強化されたなと思う。今年は方向性を持って行きたい。マイクロサービスの文脈で色々勉強を進めて、サービスも何かしら作りたいなと思っている。
人生がなにか歯車のようなもので回されているのだとすれば、俺のこの勉強は潤滑油でも歯車そのものでもない。人生がそのままこれらの勉強の主体なような気がしてならない。やる気が尽きることもない。これがなければ生きていないようなものなのだと思う。
そういえば祖母が認知症になった。半年前くらいだけど。たまたま最近お見舞いに行ったんだけど、5歳位の俺の記憶までしか持ってなかった。急に大きくなった孫が出てきてびっくりみたいなのりだった。
姉と一緒に行ったんだが、姉は涙ぐんでいた。なんかこんなの肉体は死んでないけど精神は一度死んだようなものだよな。忘れ去られたら人はもう一度死ぬなんてこと言うけど、これはその逆かもしれないけど、死んだ人を見たような感覚だったな。
おじさんが死んでから、俺も別に死んでもいいなって思う。誰しも地獄を持って生きてるんだけど、俺はその地獄に立ち向かえてすらいないって気がしてる。俺の友達も親もすでに惰性で生きていて、こんな主張など陳腐なものなのかもしれないが、それを誰も開示してくれないし、開示したとて若者病なんだよそれは。
こんなナイーブな感情はね、対面で話すようなことでもないしネットでつらつら書くようなことじゃないんだよ。誰もが布団の中でねれないときに考えたり、人間関係がうまく行かないときに言い訳みたいに考えるようなそんなところなんだよ。そんなものを相手に話して共感を得られたとして、それはそのときたまたま共感を得られたっていうだけの話だよ。
だからそんな感情は押し殺し、Rustを勉強するんだ。もういいじゃないか、現実はシンプルかもしれないし複雑かもしれないけど、それを考えたとて死ぬときに思い出すのはコンピュータの話だよ。
入学おめでとう
私は仕事ができないんじゃないかと思う。私は学校の成績は良かったが、それは仕事に全く影響を及ぼさないのではないかと思う。私は今何を誇りに生きているのだろうと思う。私は世の中が単純じゃないと思う。私はやはり仕事ができないんじゃないかと思う。
私は時間の管理ができない。私はタスクの管理ができない。私は身の回りの支度ができない。私はお酒が飲めない。私は休日に外に出ることができない。私は友達が少ない。また、私は飲食店に入るのが怖い。私は目上の人に詰められるのが怖い。私は自分の実力が大したものでないことが怖い。私は変な格好をしている風にみられるのが怖い。私は人に嫌われるのが怖い。
私には怖いものだらけの生活を歩んでいると思う。とるに足らないものを怖いと感じているのも情けない話だと思う。私は自分が大げさではないと思っている。私と同じような恐怖を感じている人は多くいるはずだ。その人たちはきっと、私と同じように恐怖しているか、あるいは恐怖を取り除くために物事のとらえ方を変化させて順応しているのだと思う。
それらはどこまで突き詰めていっても、根源的な恐怖のように感じられる。
私のそれは、死ぬ直前まで続くのだろうか。あと数分で人生が終わるというようなときでさえ、私は怖いものにおびえ続けて生きるのだろうか。そうして、恐怖のない生活を目指していった先にある空虚な環境に備え付けられた薄い布団の上で生涯を終えるのだろうか。
ところで、小学校に入学した甥、入学おめでとう。私は学校に在籍しているほとんどの期間を自尊心を保つことに注力していたが、きっと君はそうもいかない。私は挫折という挫折を避けて学校に通っていたが、きっと君はそうもいかない。私の家庭環境はほとんど周りのものと同等と思っていたが、きっと君はそうもいかない。
君は私が触れなかった恐怖の実態に触れることになる。いま私はそれがうらやましく思う。
私は仕事ができないんじゃないかと思う。私は学校の成績は良かったが、それは仕事に全く影響を及ぼさないのではないかと思う。私は今何を誇りに生きているのだろうと思う。私は世の中が単純じゃないと思う。私は嫌なものから目をそらしてきたから、ひどく臆病なんじゃないかと思う。
向こう10年結婚しなくてもいい
ようやくシステムエンジニアの仕事をし始めましたが、向こう10年結婚しなくてもいいと思いました。
今気づいたことでも何でもないのですが、特に志を持って生きてこれず、ただただ用意された競争で上位を取り気持ちよくなるだけの人生だったので、そこそこいい大学に進学し、そこそこいい成績を取って、人生の指針を持ったふりをして学科に行き、研究はといえば、それは全く競争ではなかったため、就職して逃げてきたのです。就職しても私の性質は大きく変わらない。会社にある簡易的な競争にはやはり私は強いのですが、面倒だと思うことをコツコツ積み上げていくだとか、人と人のつながりを大切にするだとか、そういうのが苦手で正直特にパッとしない日々が続いていたように思います。
今、きっと私は立つべきではないコンピュータサイエンスの壁の前に立っています。この会社でエンジニアをするのであれば、決してここに立ち寄る必要がないのは承知なのですが、なぜか立っている。もしかしたら主戦で戦うことにビビっていて、一種現実逃避のような行為の一つかもしれません。
何するにしてもメジャーじゃない。そういわれてみれば、私にはそう言った性質もあったかもしれない。ニッチなことをやれば誰も私に口出せませんし、外野から私のことを評価するのが難しくなる。内野から見れば、それはまあお粗末なものだとは思うのですが、なんにせよ私はこの性質を持ち合わせているかのようです。
でも、今、コンピュータサイエンスが楽しい。生物学も物理学も農学も医学も機械工学も、社会に出た後にはなかなか勉強が難しいです。でも、コンピュータサイエンスは違うんですよね。研究というには大それていますが、手元にあるLinuxOSはオープンソースで、先人が積み上げてきた膨大なソースコードはすでに私のものになっており、それを理解することができるなど、ほかの学問にあるのでしょうか。私がこの職業を選んだのはただの運かもしれません。私はそもそも、運がいいのです。
確かに私は運がいい。私の生きてきた人生のプロセスの多くは間違えていたような気がしますが、その選択一つ一つは大きく外れていなかったと思っています。中学でクラブチームをやめたのも、アニメとゲームに熱中して思う高校に行けなかったことも、まあ、こういう風に上げていてはきりがない。私は運がいいのです。決して自慢じゃない、というのも、この性質は特に私の自尊心を満たしません。
没頭したものに対して、時間はどれだけあっても足りないように感じます。寝ている暇も惜しいので、本当に寝なかったりします。正直ご飯を食べている時間ももったいないですし、会合に行く時間とかももったいない。それだったらUbuntuを触ったり、アセンブラに挑戦してみたり、そう、近いうちにプログラミング言語を自作したいので、それとか、ファイルシステムやプロトコルスタックを実現するOSも作ってみたいですし、ここまで言えば、時間が足りないことなどわかると思います。正直、死ぬまで暇していない。
私はここ2年間ほど、すぐにでも結婚したいと思っていました。結婚してしまえば、いついかなる時も人が一緒にいます。私がコンピュータを触る時間、人が寝ています。私が食べない晩御飯を作ってくれるかもしませんし、無駄にセックスしなければいけないかもしれません。
私にその時間はもうないです。でも、私もバカではないので、この没頭は10年限定にしたいと思っています。もちろん、この10年というのも願望にすぎません。とにかく、今はくだらないことを思いたくない。考えたくない。
インカレ2023
2連休だった。1日目の休みは特に何もせずに寝た。休日を丸々無駄にしても2日目がある、そういう気持ちの余裕が生まれるのが2連休のいいところだ。2日目はと言えば、ひたすらパソコンに向かって勉強をした。それのどこが休日なのだろう。
今日の朝、ふと散歩に行ってみた。関東の夏は朝も夜も外に出たくはなかったが、水出に季節といえば秋に差し掛かっており、コンビニに朝ご飯を買いに出かけたのだった。
ドアを開けた瞬間に思い出した。秋の香りや温度もそうなのだが、緊張しているとも弛緩しているとも言い難いインカレの雰囲気だった。開催地である茨城県とは程遠いし、時刻が競技時間と被っていたか否かもわからないが、不意にそんな感じがした。
インカレのことを定期的に思い出しては、俺にしては頑張った気がする、最後のインカレはだらしない成績だった、などと、もはや一選手であった俺のことなど、俺しか考えていないのだろうが、いろいろ頭を巡る。
競技の朝、待機所での時間、どの瞬間を思い出しても、一切当事者意識などわかないのだが、スタート3分前枠に立った時特有の寒気や緊張感は、今も思い出される。決して悪い成績ばかり取ったわけでもなければ、後悔をしているわけでもない。ただ、スタート前からスタート直後までは、誰も俺を認知しておらず、それでいながら自分と、その自分を取り巻く何者かだけが自分を見つめている。
誰のものでもないと思っていた自分の人生が、急に自分のものになる感覚があった。自分に講義を受けさせるために朝早く起こす別の自分。研究を終わらせるためにコーディングをする別の自分。飲み会を楽しむために自分の体調を管理する別の自分。なにかすべてに当事者意識というものがなく、それでいて滑らかに人生が転がっていく感覚があった。人生が激しい凹凸なく円滑に転がるようにセッティングさせていた自分は、もはや自分でない。
今も俺の人生を生きているのは、俺ではなく、俺の周りを取り巻く愉快な俺だ。しかしながら、インカレみたいな大舞台に立った時のように、急に自分が自分であることを思い出す俺がいる。そんな時、俺は不安定になってしまう。いやに久しぶりに目から覚めたのだから、それも、起きるのは緊迫感を感じるときだし、それはきつい。
きっと俺はこの半年くらい、そのようなパニックに陥り続ける。もしくは永遠かもしれない。それがどうであれ、いつ死のうが、なんだろうが、俺は俺の人生を緩やかに転がし続けるのだと思う。