モリブロ

ここ最近はよく悩んでいる。

向こう10年結婚しなくてもいい

 ようやくシステムエンジニアの仕事をし始めましたが、向こう10年結婚しなくてもいいと思いました。

 今気づいたことでも何でもないのですが、特に志を持って生きてこれず、ただただ用意された競争で上位を取り気持ちよくなるだけの人生だったので、そこそこいい大学に進学し、そこそこいい成績を取って、人生の指針を持ったふりをして学科に行き、研究はといえば、それは全く競争ではなかったため、就職して逃げてきたのです。就職しても私の性質は大きく変わらない。会社にある簡易的な競争にはやはり私は強いのですが、面倒だと思うことをコツコツ積み上げていくだとか、人と人のつながりを大切にするだとか、そういうのが苦手で正直特にパッとしない日々が続いていたように思います。

 今、きっと私は立つべきではないコンピュータサイエンスの壁の前に立っています。この会社でエンジニアをするのであれば、決してここに立ち寄る必要がないのは承知なのですが、なぜか立っている。もしかしたら主戦で戦うことにビビっていて、一種現実逃避のような行為の一つかもしれません。

 何するにしてもメジャーじゃない。そういわれてみれば、私にはそう言った性質もあったかもしれない。ニッチなことをやれば誰も私に口出せませんし、外野から私のことを評価するのが難しくなる。内野から見れば、それはまあお粗末なものだとは思うのですが、なんにせよ私はこの性質を持ち合わせているかのようです。

 でも、今、コンピュータサイエンスが楽しい。生物学も物理学も農学も医学も機械工学も、社会に出た後にはなかなか勉強が難しいです。でも、コンピュータサイエンスは違うんですよね。研究というには大それていますが、手元にあるLinuxOSはオープンソースで、先人が積み上げてきた膨大なソースコードはすでに私のものになっており、それを理解することができるなど、ほかの学問にあるのでしょうか。私がこの職業を選んだのはただの運かもしれません。私はそもそも、運がいいのです。

 確かに私は運がいい。私の生きてきた人生のプロセスの多くは間違えていたような気がしますが、その選択一つ一つは大きく外れていなかったと思っています。中学でクラブチームをやめたのも、アニメとゲームに熱中して思う高校に行けなかったことも、まあ、こういう風に上げていてはきりがない。私は運がいいのです。決して自慢じゃない、というのも、この性質は特に私の自尊心を満たしません。

 没頭したものに対して、時間はどれだけあっても足りないように感じます。寝ている暇も惜しいので、本当に寝なかったりします。正直ご飯を食べている時間ももったいないですし、会合に行く時間とかももったいない。それだったらUbuntuを触ったり、アセンブラに挑戦してみたり、そう、近いうちにプログラミング言語を自作したいので、それとか、ファイルシステムプロトコルスタックを実現するOSも作ってみたいですし、ここまで言えば、時間が足りないことなどわかると思います。正直、死ぬまで暇していない。

 私はここ2年間ほど、すぐにでも結婚したいと思っていました。結婚してしまえば、いついかなる時も人が一緒にいます。私がコンピュータを触る時間、人が寝ています。私が食べない晩御飯を作ってくれるかもしませんし、無駄にセックスしなければいけないかもしれません。

 私にその時間はもうないです。でも、私もバカではないので、この没頭は10年限定にしたいと思っています。もちろん、この10年というのも願望にすぎません。とにかく、今はくだらないことを思いたくない。考えたくない。