モリブロ

ここ最近はよく悩んでいる。

"死にたくなったら電話して"とは何なのか

 "死にたくなったら電話して"を4回くらい読んでる。

 きっと人には誰しも暗い部分やひねくれた部分がある。自分が集団の中心で仕切っている側だと心地よく感じることも、端にいれば粗を探してしまうし、周りは当然のようにできることを自分ができなければ、夜は心穏やかに眠ることができない。きっと誰しも経験がある。自分が孤独なとき、マスに持つ憧れや嫉妬や嫌悪がある。

 これまで生きてきてあまりにそんな経験が多いものだから、人生の大半を孤独だと思い込んで生きていたから、いつしか自分がどんな状態であろうと、私は恒常的にマスへの敵意を持っている。なにか心苦しいような文面ですが、このようなスタンスを取るのは、とても気持ち良いことです。周りに気を遣う必要もないし、考えたいことだけ考えれば良いし、自分に責任ものしかかってきません。いつでもいいわけができる。

 でも、そんなことが、果たして健全な状態といえるでしょうか。他を排除し、環境の責任にして、自分の成果を担保しない状態が、本当に生きていて正しいのでしょうか。

 ここでいう健全、正しいというキーワードが、私にはよくわかっていません。でも、なんとか私はマスに傾倒しようと今、頑張っています。書き方が悪いかもしれません。周りと調和し、責任を持った生き方を試みています。なんだかそれがとても懐かしい気がするし、それこそが生命力の本質である気がするのです。だからどうということはありませんが。