モリブロ

ここ最近はよく悩んでいる。

3.永井みみ『ミシンと金魚』

1.『ミシンと金魚』

 第166回芥川賞候補には一体どの作品が残るのか、そんな話題が12月のYoutubeを多少賑わせていましたが、どの投稿者も口をそろえて『ミシンと金魚』と仰っていました。本当に、誰もかれもがこの作品を推すので、さすがに気になりましたので、読みました。

 どんな人に向けて書いているでもないのですけれど、純文学の作家になる常套手段として、文芸誌公募の新人賞を受賞する、というモデルがあります。文藝春秋は”文學界新人賞”、新潮社は”新潮新人賞”、講談社は”群像新人文学賞”、河出書房は”文藝賞”、集英社であれば”すばる文学賞”、という賞を、まだ世間に作品が知られていない人を対象に送るわけです。受賞すると、晴れて小説家デビュー、その作品か、もしくは今後書く作品で芥川賞を受賞したり、しなかったり。

 本作の著者、永井ミミさんももれなくこのパターンで、すばる文学賞を受賞し、デビューしました。圧倒的絶賛を浴びた作品でしたが、芥川賞候補作に残ったのは、佳作であるところの『我が友、スミス』でした。こんなこと、あるんですね。超好評だった受賞作が漏れて、佳作が候補作にノミネートされるとは、どのように選ばれ、作品が削ぎあとされていったのか気になるところですが、こればかりは公開されませんのでわかりません。

 この作品は、認知症老人についての小説なわけですが、もしかするとそのテーマが少しこれまでの芥川賞作品と被っていたためなのかな、と思ったりします。具体的に言えば、『おらおらでひとりいぐも』ぐらいしかわからないのですけれども、老人を描く、という点は類似しているように思います。実は読んだことがないのでわかりませんが、もし1人称の語り口調であれば、まま似ているなと思います。

 別に芥川賞の候補作であろうがなかろうが、絶賛されていたので読みました、というだけの話です。長かったですね。

 

2.感想

 結論から言うと、巧みでエネルギッシュで、素晴らしい作品でした。

 あらすじを書くのは面倒なので、張り付けておきます。

認知症を患うカケイは、「みっちゃん」たちから介護を受けて暮らしてきた。ある時、病院の帰りに「今までの人生をふり返って、しあわせでしたか?」と、みっちゃんの一人から尋ねられ、カケイは来し方を語り始める。
父から殴られ続け、カケイを産んですぐに死んだ母。お女郎だった継母からは毎日毎日薪で殴られた。兄の勧めで所帯を持つも、息子の健一郎が生まれてすぐに亭主は蒸発。カケイと健一郎、亭主の連れ子だったみのるは置き去りに。やがて、生活のために必死にミシンを踏み続けるカケイの腹が、だんだん膨らみだす。
そして、ある夜明け。カケイは便所で女の赤ん坊を産み落とす。その子、みっちゃんと過ごす日々は、しあわせそのものだった。それなのに――。
暴力と愛情、幸福と絶望、諦念と悔悟……絡まりあう記憶の中から語られる、凄絶な「女の一生」。

 この小説は、認知症のおばあちゃん、カケイさん、の1人称視点で話が進んでいきます。この1人称視点での語りが、巧い。老人になった経験はないので、本当のことはわからないけど、認知症のおばあちゃんの脳内を嘗め回すように描かれる語りは、確かにリアルだったと思います。老人は行動に考えが現れにくいけど、確かに老人の考えていることが描かれているような気がするし、私たちがそれを見下していたような気になります。

 細かい点にも気を使っていて、漢字の読みであったり、言葉遣いであったり、記憶のあいまいさというのが節々にちりばめられていて、もう一度読むとまた新たな発見があるように思います。そういう技術的な目で見ても、語りの描写は巧みでした。

 私はこの小説の嫁とのやりとりの部分が好きです。カケイさんと、嫁とのユーモラスな文章、嫁の悪意のある語り、最後の別れの描写での思い、面白かった。私は小説を読むときに、主人公にどっぷり感情移入をして読むことはまあしませんが、ポイントポイントで、主人公や登場人物に感情を解釈して読みます。二人のやり取りは、私の心になじみ深いものがありました。

 

ただ、ミシンだけ、やってりゃよかった。

損した。

と、おもっていたけど、なにつかにつけ、自分は損した、自分だけが損した、と、思ってた、けど、それは、おもいあがりだった。

 不幸せにならないためには、幸せになろうとしなければよかったのかもしれません。実際、カケイさんは損したと思うし、他人を羨んだり憎んだりすることもあって然るべきだったと思います。でもやっぱり、他人の善意で生きて、他人に不意の悪意を放ち、高齢になってもなお、そうしたことに気づくのが、生きるってことだと思います。カケイさんはラストで満足したように死を選択しますが、それに必要なのは、手に負えないほどの幸せでも、平穏な労働でもなく、自分の人生を納得することなのかもしれません。終わります。