モリブロ

ここ最近はよく悩んでいる。

1.中村文則『何もかも憂鬱な夜に』

 ここ最近は中村文則さんの作品を多く読んでいますが、今日は6作目の作品であるところの『何もかも憂鬱な夜に』を読みました。中村文則さんは、自身の陰鬱な性格・感情と、犯罪を絡めた小説を主に書いており、からっきしに明るいわけでもなく、無責任な希望を残して小説を締めないところが大好きです。

 さて、私は彼の作品をおおよそ出版された時系列にそって見て行こうと決めています。私が初めて読んだ彼の作品はデビュー作であるところの『銃』でした。”銃”という非日常的な物質を日常に織り交ぜ、主人公がそれを持ち運び、それに支配されるような、振り回されるような感覚と、最後にそれを断ち切ろうとする主人公が…というラストは、言わないほうがいいのかもしれません。

 次に読んだのはたしか、2作目の『遮光』だった気がします。この作品は”持ち運ぶ”という点において、『銃』と非常に類似しています。実はこっちの作品は、衝撃こそ受けましたが今説明しろと言われるとそこまで思い出せません。いろんな人にすみません。

 こいつ、読んだ順番に作品を羅列するつもりか、と思っているかもしれませんが、これで終わりなのでご安心ください。次に読んだのは8作目の『掏摸』です。デビュー作付近の作品から、8作目を読んだので、作家としての変遷のギャップがありありと私を突き刺しました。純文学的でありながら、読み物として非常に面白い。しかもラストも前に述べた2作より、万人受けしそうで、かつ、過剰でなく十分な希望を持っている。

 これは面白い変遷だと思うと同時に、近年の中村文則さんの作品が分厚く長編であることに納得しました。こういった作品が作れるということは、長い読み物も十分に書けるだろうし、かつ、読めるだろうし。

 一人の作家を、変遷を感じながら掘り進めていくことに興味を持ったので、次々と読み進め、多少の作品の前後はありつつも、今回で6作目の『何もかも憂鬱な夜に』に至ったわけです。前口上が長すぎますが、ご容赦ください。

 また、今回からレビューを書くにあたって、所謂”精読”を行ってみました。今までは割と雑に読んでいましたが…、すみません。

 

 ざっとあらすじと解釈を述べて、締めようと思います。

 主人公は孤児院に捨てられ、恩師とも言える施設長に育てられます。

 きっと主人公には世界を憎悪する運命があったはずです。親に虐待を受けたかもしれないし、親を捨てるような人間の身勝手さに絶望していたのかもしれないし、抑えきれない犯罪への衝動に心を許してしまったかもしれない。実際に、友人の真下は憎悪の運命に逆らえず、思春期の波にのまれ死んでしまいます。

 その友人の死もあって、主人公は終盤まで自分が偶然運命の螺旋からくぐり抜けてしまったというラッキーに苛まれます。主人公は人として正常であるような、恩師に認められるような人生を歩みつつも、破滅の欲動を隠せません。元担当の囚人であった佐久間によって、自身の破滅を促され、破滅を試みます。主人公がレイプし犯罪に手を染めようと、自分の運命を自分の中に戻そうとするように、女の首を絞め押さえつけます。不意に何かに押される力を感じ、赤いコートの女は走って去っていきました。

 この描写、破滅から抜け出す、重要な描写だと思っています。押される力は女のもので、施設長に押さえつけられていたときの自身を回想したのかなと勝手に解釈しています。施設長に押さえつけられていたときの暴力的な手にもがきながら、安心感を感じていたあの時と、現在自分があの時の施設長とは違う形で必死にもがく他者を押さえつけている今。主人公は、施設長のような人間になりたいと思っていた過去があり、それを諦め破滅に向かう最中で、奇しくも行動がリンクしてしまっています。それは無意識的で潜在的かもしれないし、何の関係もないかもしれませんが、主人公はそれで我に返ったのかもしれない。

ただ、ここの解釈は私にとってすごく難しい。もう一度よむひつようがあるかもしれません。

 最終的に、主人公は恩師を強く想い、破滅の衝動を抑え、恩師と同じような態度で山井に接します。死刑を迎えるかもしれない山井に、更生(とはあまり言いたくないけど)を導くこととなります。

 私にとってこの作品は、明確な”救い”の作品です。死刑制度・破滅への欲動・芸術など、この作品は社会問題の詰め合わせみたいな作品だと思っていて、なかなか一口に言う事が難しいなと思います。どうやらこの作品の死刑制度の部分がピックアップされて語られることが多いようですが(2009年ごろの出版、時代もあるのかな)、それだけではないよな、と。

 私自身死刑制度否定派の人間で、そこに関してはまあそうだよな、という解釈を述べた上で、この作品の愛すべきところは”生への全肯定”であり、それは私にとって救いだと感じます。作品終盤の回想では、恩師が芸術の重要性について語ります。小説である以上に説教染みた(失礼な表現ですが…)、明確な芸術の重要性が彼の口によって描写されます。また、彼はとにかく犯罪・死の否定のスタンスを取ります。それに感化された主人公もまた、生きることの重要性を山井に語ります。芸術の重要性など、いろんな媒体で語られているかもしれないし、とにかく生きたほうがいいだなんて、それこそ陳腐なのかもしれませんが、これを中村文則さんが死刑制度・破滅の欲動と絡めて書くことで、より一層説得力が増し、単なる希望に満ちたファンタジーのお話ではなくなっています。

 『土の中の子供』もなかなか抗うエネルギーを感じられたのですが、この作品からは明確な希望や抵抗を感じられて、今までの中村文則さん"らしくなく"、かつ、中村文則"らしい"物語だったように感じます。

 私は世界を恨んでいるかもしれません、何もかも憂鬱な夜が毎日やってきますし、なにかの欲動が私を動かそうと手招きし、運命に陥れようとしてくることをひしひしと感じます。世界に屈服せず、共に生きましょう。